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神話学
自然主義的な神話の読み方から脱することが、
神話学の初歩である。
即ち別の物語、
例えば歴史的な英雄譚(エウヘメロス主義)や
稚拙な観察(星辰、自然諸力の人格化説)が、
話として伝承されたものが神話だ、
とするような態度そのものが、
ナイーブ(素朴)な神話観であり、
神話へのアプローチとしては、
不適切であることを自覚することから、
神話学は始まる。
このことは、本邦では、
既に高木敏夫が明治三十年代に、
フレーザーの『金枝篇』の影響を受けながら、
日本神話に対するアプローチ批判を、
繰り返した事によっても評価され得る。
(『日本神話伝説の研究』)
神話学に於ける議論としては、
人類の内在的な共有イメージから発生する、
構造的な、そして基礎的な物語であるという説(エリアーデによる「潜水神話」の論考)や、
伝播説、或いは言語の古層から、
起源の共有を訪ねる説(デュメジル)、
またはシンボル体系そのものが、
単なる観念連合の集積として共有材になっているだけであって、
神話や呪術はそれら集積堆に働きかける、
いかがわしい手段に過ぎない
(オキーフ、『盗まれた稲妻』Daniel Lawrence O’Keefe, Stolen Lightning 1983)とする説など、
多様な議論があるが、
自然主義的な解釈が許される余地は、
一切無いのである。
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